みなさん、こんにちは!カンボジアの大学に通っている女子大生のユウミ(@___yum0)です。
カンボジアの歴史について、どれほど知っていますか?
そもそも高校や大学で世界史をやっていない限り、
触れることもないのではないでしょうか。
一般常識として、
ポルポト政権だったり、クメール・ルージュについては知っているかもしれません。
今回は、簡単に・わかりやすくカンボジアの歴史を解説したいと思います!
・カンボジアの大まかな歴史がわかる!
・高校世界史の復習ができる!
・カンボジアについてもっと知りたくなる!

カンボジアの歴史、面白いからぜひ読んでみてね!
今回は浜島書店の『世界史詳覧』を参照しています。
この資料集は私が受験のときにお世話になったものです。
めちゃめちゃ詳しくて、原因と結果がたくさん書かれているのでおすすめです。
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また、『世界史の窓』というサイトがとても詳しく単語などを解説しているので、
そちらもぜひ参照してみてください。
古代国家形成期
1世紀末、メコン川下流(現在のカンボジアとベトナム南部)に『扶南』が建国されました。

扶南と漢字で書くのは中国の歴史書に表記されていたからです。
クメール語のプノーム(山の意味)と関連があるそうです。
扶南には外港があり、オケオ遺跡と呼ばれています。
ここは西のローマ帝国と東の漢帝国を結ぶ海上貿易路の拠点として重要な役割を果たしました。
4から5世紀にはヒンドゥー教・シヴァ神信仰・サンスクリットを取り入れ、インド化が進行しました。
扶南は港市国家として栄えました。
港市国家とは、海上での中継貿易。内陸部との特産品交易を支配し、利益を上げた国家ことを指します。
6世紀頃には、カンボジア(真臘)が自立し、
7世紀に扶南はクメール人国家である真臘に征服されました。
8世紀になると真臘は二つに分裂し、
それぞれ南の水真臘・北の陸真臘と呼ばれました。
その後、802年頃に、
アンコール朝として再統一。

アンコール朝のカンボジアはこの頃、最盛期を迎え、
領土は現在のカンボジア、南ベトナム、ラオスの大部分、タイ東部を含みインドシナ半島最大でした。
民族国家形成期
12世紀にはアンコールワットがスールヤヴァルマン2世によって造営され、

首都にアンコール=トムが建設されました。

ここで結構見落としがちなのは、
アンコールワットはヒンドゥー教寺院であったことです。
16世紀になると上座部仏教寺院に転用されましたが、
もとはヒンドゥー教の寺院だったということがポイントです。
当時インドの影響を根強く受けていたことがわかりますね。
同じく12世紀にベトナム南部にあたるチャンパー(占城)に侵入。
13世紀からアンコール朝王室の内紛と、タイによる圧迫で、
次第に衰退していきました。
1431年頃、アユタヤ朝の攻撃を受け、
遷都し、アンコールは放棄されました。
植民地時代
1863年にフランスがフランス=カンボジア保護条約を締結し、カンボジアを保護国化。
カンボジアは17世紀以降、東のベトナムと西のタイの二つに隷属する状態が続き、
19世紀にはタイがイギリスの後押しを受け、
カンボジアの支配力を強めていました。
よってフランスはカンボジア保護国化を認めさせるため、
1865年にカンボジアの一部の領有権をタイに割譲しました。
1887年からはフランス領インドシナ連邦の一つになりました。
まとめ
PART1は以上です!
独立からの話は結構複雑なので、PART2で解説しようと思います!
カンボジアの歴史が少しでも身近になればいいなと思っています。
また更新します!
それでは!
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